デリー国際民族誌映画祭

11月26日〜30日までインドのデリーで開催される
Delhi International Ethnographic Film Festivalで拙作
「Gong Culture in the central highlands of Vietnam」が
上映される。今まで国内の学会やシンポ、イベントなどで上映したことは
あったけど、審査のある映画祭で上映されるのは初めてなので嬉しい。


もともと映像制作なんて全然興味もなかったんだけど、映像人類学
ばりばり活躍している先輩が、僕がベトナムで撮ってきた映像を見て「せっかく
そんなに沢山撮ってきたんだから作品としてまとめないと」というので
premiereの使い方をその方に習って、試行錯誤しながらはじめたのがつい
一年前位のことだった。でもベトナムで撮ってきた映像はあくまで論文書いたり
するときに使うための「記録」として手持ちで撮ったものだから、なかなか
作品に使えるカットが少なくて苦労した。しかも50時間ほど撮った映像から、
使えるカットを見つけて作品を構成するというのは、本当に時間がかかり大変
な作業であった。撮影の時点で、ある程度作品の構成を考えて撮っていれば
これほど苦労はしなかったかもしれない。


商業映画(ドキュメンタリーも)の場合、当たり前だけど多くのスタッフが関わる。
撮影時には撮影、録音、照明、衣装それぞれ専門のスタッフがいるし、編集作業
、宣伝、配給などもしかりである。もちろんキャストもいるわけだけど。
でも民族誌映画の場合、撮影者が撮影に関わる仕事を全てこなし、編集作業、
映画祭への出品、宣伝(?)も一人でやっている場合が多いようだ。すなわち撮影者が
全ての作業をやるわけだ。自分の場合を考えてみても、撮影時は一緒に同行してくれていた
調査助手の方が撮影交渉などを手伝ってくれた以外、基本的に自分一人の作業であった。
撮影といっても、前もって打ち合わせをして、撮影対象、撮影地を決めてとかいうわけではない。
やらせではない彼らの現実の儀礼における演奏をとらなければ意味がないからだ。


バイクで泥の河を渡り、草むらをかき分け野犬に追われながら、ゴング演奏の音をたよりに
儀礼・祭礼がおこなわれている村を探す。だからついた頃にはすでにゴングの演奏が始まってい
て、その場で撮影交渉してすぐに撮影という形が多く、三脚をセッティングしたり、
録音機を別に回したりする余裕はない。何よりも迅速さが求められるので、ハンディカムに外付けマイク、
広角レンズという簡単なセッティングで撮ることが多かった。
右手でハンディカムを固定して撮影し、左手でデジカメを構え(ビデオ映像から切り出すのでは画質が劣る
ので)、視線はハンディカムの液晶から離さず、両耳は録音のモニターを常に聴い
ているという、まさに身動きのできない状態で1時間、2時間(ゴングの演奏は非常に
長い)と撮影することも多かった。でも撮影→編集→出品→上映(→フィードバック)
という過程を経験したことは、自分にとって大きな経験になったと思う。


こうした映像制作が個人でできるようになったことは間違いなくパソコンや撮影・録音機器
などの機材の高性能化と廉価化がここ数年で急速に進んだからだと思う。
音楽制作と同様、映像制作も個人のPCで行える時代が来たようだ。音楽制作の場合、大した処理能力を
必要としないため、自宅はおろか飛行機や新幹線の中、カフェ、公園どこでもできる
わけだけど、映像もそういう時代になっているのかもしれない(ハイビジョンはまだノート
PCではきついかもしれないけど)。おそらく予算の少ないインディーズ映画なんかは、
そうやって作られているんだろう。
制作した映像もYou Tubeなどで簡単に無料で発信することができるため、
大げさではなくそれこそ作ったらすぐ世界に向けて発信することができるわけだ。でもこれだけ
環境が整ってくると、プロとアマの垣根もなくなりつつあると言えるのかもしれない。
そして今まで以上にコンテンツの質が問われることになるのだろう。